小学6年生のころの交換日記。

交換日記 表紙

20年近く経つのに、古さを感じさせませんよね。

つくづく、日本の紙技術って、すごい!と感心します(笑)。

 

「わたしも、小学生の頃、友達と交換日記してたわあ!なつかしい~爆笑

という方も多いのではないでしょうか?

 

ただ、上↑の日記帳は、友達との交換日記ではありません。

私と「父親」との交換日記なんです。

 

しかも、交換日記をスタートした時は、別居していたわけでもなんでもなく。

親がけんかしていたわけでもなく。

フツーに、一緒に住んでいるという・・・(笑)。

 

うる覚えですが、テレビドラマかなんかで、お父さんと子供が交換日記するという話があって。

わたしは、超テレビっ子で、すぐにテレビの影響を受る子どもだったので、

「わたしも、やる~!爆笑

と、日記帳を母親に調達してきてもらって、スタートしたものでした。

 

最初のページは、私の番。

「1月9日(土)

えりかでーす!

お父さんと交かん日記、はじめてだから・・・なに書こうかちょっと迷ってマス。(友達とはしたことあるけれど)

・・・(中略)

それと一言!

読める字で書いてね。

1週間に1回は書いてね。

わたす時は、朝か夜(しかない)にしてね。

朝は、私起きれないかもしれないから、夜の方がいいかも・・・

お母さんにわたしてくれてもいいけどね。」

 

自分で言い始めた割に、いざ始めようとすると、書くことに迷うもんなのね。

しかも、親の仕事の都合など一切無視した傍若無人な注文ぶり(笑)。

われながら、すごい子供だなあ・・・ある意味、子供らしいのかなあ・・・

なんて、ちょっぴり苦笑い困った

 

 

また、別の日。

スキーに行って楽しかったという話の後。

スキーのイラストを使って、チビやすえりお手製、間違い探しコーナーが。(写真左)

「→注 あやしい人ではナイ」

という、自分ツッコミが、今のやすえりの片鱗を見せているような気がします。

 

父親も、ちゃんと律儀に、間違い探し回答してくれた形跡がありました(写真右)

交換日記 間違い探し 交換日記 間違いめっけ!

 

のらりくらりと、同居親子の交換日記が続き・・・

 

その後。

父親の病気がわかって、急に入院。

その後、父親が転院するのに伴って、私も小学校卒業まであと半年というころに、転校になる。

という激動(?)の時代に突入。

 

交換日記には、

交換日記 応援メッセージ

 

こんないじらしいメッセージが残っていました。

 

「わたしも、こんな純粋な時代があったのね(←遠い目・・・)知らない

と、しんみりしてみたり。

 

正直、小学生のころは、自分ですると言い出した割には

「お父さんの話、小難しくて、よくわかんないなー」

「お父さんと交換日記っていっても、思ったほど、おもしろくないかもー。友達との交換日記の方がおもしろいなーあくび

なんて、思っていました。

 

でも。

大人になってから見てみると、ちょっと読みにくい汚い(?!)父親の字が、かえって懐かしくてたまらない。

そして、ちょっと説教くさいところも、かえって父親からの愛情が感じられて。

すっごく泣きそうになります。

 

父親が小学生のころは、こんな遊びをしたよ、という話とか。

両親が、私が小学校卒業目前に転校になることを決断するまでに、すごく悩んだということとか。

 

交換日記という形でなかったならば、普段の会話では話題にはならず、知ることはなかったのかもしれない。

そんなことも書かれています。

 

子供の頃には、理解できていなくて、正直「すっごく楽しい♪♪」というわけではなかったけれども。

子供心には「すっごく楽しい♪♪」じゃなくても、

ながーい目でみると、交流を続けていて、ホントに良かったと、大人になって初めてわかる、ということもあるんだなと実感しました。

 

うーん、なんか、しんみり。

 

なんだか、ちょっぴりセンチメンタルな、やすえりなのでした浮気者 (女性)