先週、ひょんなことから、家宅捜索の結果(笑)、すんごい久しぶりに、20歳のときの日記を読み直しました!
20年前の品が、ちゃんと実存するのが、ある意味すごいっちゃスゴイ・・・(;^ω^)
自分で言うのもなんですが・・・
当時の自分、すげーウザイキャラっ!!!( ;∀;)
まあ、20歳の大学生だから、そういう生き物でも、おかしくないといえばおかしくないというか。
おー青春ど真ん中っすね。ってだけの話かもしれませんが。
中学高校まで女子高で、ガチで、まともに会話する男性が父親だけ。
あとは、せいぜい、本屋、文房具屋、CD屋などの店員さんとレジでやりとりする程度っていう、ある意味、温室育ち(爆)生活だったのが。
一気に、大学で共学になった反動もあるのか。
それに、なんか、特に大学1~2年生のとき、なぞのモテ期だったんすよ(昔取った杵柄・・・)。
おそろしいまでの恋愛至上主義の20歳(とくに前半)!!!
やすえり弁護士の9割5分は、読んでいる本で出来ているといっても過言ではない(これは、現在でも。)
そして、20歳の日記は、読書日記も兼ねていて、日記としての自分の言葉以外にも、本で気に入ったフレーズも、まぜこぜで書かれている。
20歳当時は、山田詠美(敬称略)にドはまりしていた時期。
山田詠美の小説からエッセイから、舐めるように読み漁っていたころ。
山田詠美以外も、江國香織、宇野千代、瀬戸内寂聴、田辺聖子、森瑤子、林真理子とか。
女流作家の黄金期。
北大図書館でいそいそと借りてきては、授業中、1番後ろの席に座って、小説ばっかり読んでたなあ~そういえば。(なんの勉強してんだっていうね笑。)
そりゃあ、恋愛至上主義になってもおかしくないラインナップだよね・・・
他人の言動をくよくよ気に病んでは、
「あれは、どういう意味?」
「わたし、なんかしたかな?」
「あんなことせず、もっとこうした方がよかったのか、わたし」
みたいなことが、くどくど・・・くどくど・・・と。
そして、外見コンプレックスが強すぎたのか。
書き残された、数々の妬み、嫉み・・・(;^ω^)
くどくど・・・
くどくど・・・
日記を読む前にも、漠然と、「20歳は黒歴史」っていう記憶はあったけど。
よもや、こんな、ウザさ満点だったとは・・・
おーこわ・・・
で、もっとびっくりしたのが。
黒歴史すぎて、脳みそが自己防衛に走ったのか、たまげるほど、記憶にない出来事がいっぱい書かれている!!!
当時から、タロットカードのサイトに親しんでいたらしい・・・
ぜーんぜん、記憶にない・・・
そして。
周りの友達や、大好きだった先輩(これは女のひと。恋愛感情的な好きじゃない「大好き」)に、結構、めんどくさい、ちんぷんかんぷんな質問をしている、ウザ20歳やすえりに対して、友達や先輩たち、真摯に答えてくれていたり、うれしい励ましの言葉をかけていてくれたり。
黒歴史の記憶しかなかったけど、日常の些細な会話とか、そんなことも書き綴られている。
ほんと、申し訳ないくらいに、記憶になかった・・・
こんなに素敵な人にたくさん囲まれていて過ごしていたとは・・・
というか、今と違って、20歳のころ、友達多いな笑。って思ったり。
心から、「こんなウザイやつと仲良くしてくれて、可愛がってくれて、ありがとー!!!!!」
って、感謝の気持ちが、どわーーーー!!!って湧きました。
んで。
この話の、さらに素敵な展開が。
1人で感謝の気持ちを味わってないで。
ちゃんと言えるうちに、本人に直接言おう!って、ハタって思ったわけで。
主に言いたい!って思ったのが3人。
1人は、小学校からの友達。中高も一緒。今でもLINE知っていて、昔からの友達の中では、唯一といっていいくらい、割と現在進行形で連絡取れる子。
もう1人は、中高が一緒だった子。(公開の場で書くと怒られるかもしれないが、高校のときには、孔子みたいに、遊説家になりたいと将来の夢を語っていた笑。遊説家って職業、何なん?笑。今は、札幌じゃないけど、本州で社会福祉士してます笑)。年賀状のやりとりが辛うじて続いているけど、LINE交換していない。電話帳に登録している、メールアドレスを見たら、いかにもイマドキ使ってなさそうな感じのやつ。
最後の1人が、これまた札幌ではないけど、本州で歯科医師になった先輩。独立直前までは、ふつうにメールやりとりしていたのに、独立直前の緊急入院騒動からの急遽独立へといった騒乱(?)のバタバタがあって、わたしが連絡返せないまま、かれこれ8年・・・(;^ω^)何回か、大好きだった先輩・・・いまどうしてるだろう。なんでわたし、フェイドアウトしちゃったんだろうって、過去にも何回か、くすぶっては、結局連絡する勇気なく。当然のようにLINEもわからん。メールアドレスも、これまたいかにも今は使ってなさそうなものしか登録していない。
でもでも!
届かなくてもいい。
返信まったくなくてもいい。
それでも、勇気が出なくて、もさくさしているよりも。感謝の気持ちを1人でくすぶらせるよりも。
やれるだけのことやろう。
言葉に紡ぐことに意義がある!
ってことで、電話番号を使ったSMSで送ってみました。
そうしたら、なんと!!!
ちゃんと、2人とも、届いた!
返信もきた!!!
LINE交換もできた!!!
こことの縁は切ったままじゃダメだ。
新しいツールに移行したとしても、掘り起こして、繋がり直そう。
そう信頼して、言葉を放ってみたら。
ちゃんとちゃんと繋がった。
世界は、自分が思っている以上に、うんと、やさしい顔をしてくれる
そんな、超絶ほっこり体験にも繋がりました・・・💛
20歳の日記は、毎日書いてたわけではなく。
気が向いたときに書いていたもの。
特に、ドロドロのぐちょぐちょ感情が、頭の中だけでは処理しきれなくなったときに書いていたのかと💀
まあ、弁護士としての職業的な視点で見ると、離婚訴訟で「証拠」として提出するに耐えうる日記というものは、どっちかというと、「どういう出来事があったのか」という事実のほうを丁寧に書いてほしいわけです。
※離婚訴訟で(証拠として)使える日記の書き方については、詳しくは、このブログも見てね~↓(「離婚の基礎知識」ページからも行けます。)
☆2017年10月31日 ぶんじょ的☆離婚訴訟で使える日記の書き方
20歳の日記を読んでいる途中、ついつい弁護士目線が入ってくる職業病。
出来事自体の記述が薄いなーおい。
感情面ばっかり書かず、その感情の原因になった出来事をもう少し書いてくれていたら・・・
って、離婚訴訟に使う視点で、20歳の日記を見てんじゃないよと、自分にツッコミ。
特に、へたすると、20年経過した今でも、若干トラウマになって残っているかも?っていう、当時の彼から言われたキツイ言葉と失恋については、Xデイがいつだったのかも、全く記述がなく、今となってはわからない。
苦しすぎて、日記も書けなかったんだろうけど。
少し時が経って、当初よりは傷の生々しさは減ったものの、思い出し落ち込み状態に陥ったときに、ネチネチくどくど書かれている記述は、たんまり残っているものの。
そこから、いろいろ得た、日記との付き合い方の教訓。
それでも、やっぱり、書いておくもんだ!!!っていうのは、確信したわけです。
教訓1:苦しんでいる渦中の自分にとって救いになる。
ウザかろうと何しようと、基本的には、日記は、自分だけが見る前提で書くもの。
頭の中では処理しきれない黒い感情を、そのまま、脳みその排水する感じで、脳みそから手に垂れ流すかのように書く。
それによって、一旦、自分の中で一体化していたものが、自分の外に引っぺがされる。
特にパソコン打ちじゃなく、手書きだと、あっちこちの脳みそに刺激が行くらしいし。
そうやって、手を動かして吐き出しているうちに、脳みそのあちこちが刺激されて、ネガティブ思考の部分だけじゃなく、ポジティブ展開する脳の部位もきっと刺激されるはず。
暗いことばかり書き続けてやろうって意気込んでいても(?)気づけば、自然と、書き殴っているうちに、不思議と、解決策や、このつらい経験から、どうにか教訓を得ようっていう風に向かっていることも多い。
他人に話すと楽になる面もあるけれども。
重い話だと、話す相手も選んじゃいません?こんな根暗な話、言葉にしたら、引かれるかも?とか、余計なことが気になったり。ネガティブになっているときって、そういうことも、何もかも気にしちゃって、泥沼になりがち。でも、日記だったら、そういう心配もない。
別に解決策にまで辿り着かずとも、演歌の歌詞かってくらい、女性の怨念に満ちた終わり方をしていたって、それはそれでいいのです笑。
とにかく、身近・手軽に、苦しい渦中にある女性の味方になってくれる存在。
教訓2:ふりかえると、記憶喚起ツールになる。
よくDV被害者の方の場合など、熾烈な想いをした女性(女性に限らないけど)ほど、離婚訴訟などで時系列の出来事整理が必要でも、自己防衛本能から、当時の記憶がすっぽり抜けていたり、記憶が断片的で順番が入り乱れていたりする、という知識はあれども。
DV被害と比べたら、全然、比べられないほどの話だけど。
人間的に未熟すぎた20歳のやすえりからしたら、結構、人間関係でしんどい思いをした時期。
その人なりに、黒歴史の時期、苦しすぎる時期ほど、ほんとに、すっぽり記憶が抜けているとか。もっと前、高校生くらいの話しと思っていたら、え?20歳のときだっけーうっそーこんな大きな出来事なのにっていう記憶違いも多く。
ほんと、感情面中心で、出来事をそんなに詳しく書いてなくても、当時に、生々しいタイミングで書かれたものが残っていると、「そっか、言われてみれば、そうかも・・・」とか。
「あーたしか、これあって、こうなって、こうだったか・・・芋づる式に思い出してきたぞ!」
なんて風に、離婚訴訟に耐えられるほどの日記の記載の仕方じゃないにしろ(フツー離婚訴訟を意識して日記書かないからね笑)、自分の記憶喚起、記憶の整理ツールとしては、日記が大きなきっかけになる効用は大きいなあって、自ら実感できた感じ。
教訓3:過去のつらい時期を生き抜いた、いまの自分に自信が持てる。
過去のクソつらい時期を書き綴ったものを見ていると、当時は、もう生きた心地しなかった体験でも、それでも、今やそれを乗り越えて、元気に20年も生き延びていると思うと、なかなかやるな!自分!って思えてきました。
恋愛至上主義で、当時の彼について、あーだこーだ悩んでいたけど、(超ひどいけど)今となっては、「あ、その彼、そんな悩むに値しないひとです笑。むしろ、そいつと付き合ったままだったら、そのあとで出会うもっといい人に会えなかったかもしれないから、命拾いしたね。」って平気にツラッと言える。
あとねー。日記に直接は書いてなかったので、頭の中での記憶のみなんですけど、当時の彼にフラれたときに言われた言葉が、ずっとどこかトラウマになっていて、自己価値が損なわれた感覚がある原因、あの言葉のせいじゃね?とか、被害者的にずっと思っていたんですが。
記録にないし、「ほんとにこれ自分の?こわいくらい、記憶ないことばかり書いているんですけど」っていう20歳の日記を目の当たりにすると。
もしかして、完全、記憶が間違いなんじゃ???っていう気も。
というか。もうわたしの場合、訴訟じゃないんだから(しつこい笑)、事実がどうだったかなんて、どうでもいいわけで。
それだったら、自分を苦しめる方向に記憶するんじゃなくて、自分の都合がいいように記憶しちゃえばいいかもなって。
なので、書いていないってことは、言われてない可能性もある、少なくとも、おぼろげな、自分の記憶だけのせいで、いまの自己肯定感を下げるなんて、アホらしい話であーる。
ってことで、これからの自分が生きやすいように、記憶を書き換えてしまおうって思うことにしました。
あ・・・離婚弁護士として、離婚に向かうための裁判所手続き(調停や訴訟)を想定している場合には、どういう出来事があったかという記憶と、裏付けにある資料の有無は、すごく大事なので。
記憶にある事実を歪めていいっていうアドバイスでは全くないから!
そこは、くれぐれもご注意を・・・。
しつこいですが、離婚訴訟に使えるほうが、なおよしという視点で、これから離婚を意識して始めるならば、感情だけじゃなく、出来事も記憶が薄れたり、歪んだりする前に、淡々と記憶が鮮明なうちに書いておくのをオススメします。
それでも、離婚訴訟に使うかどうかは、置いておいて。
とりあえず、今後、何にどう役に立つかは二の次としても。
女性が少しでも、気持ちふわっと軽く生きてくためのヒントっていう意味でお伝えするとすれば。
少なくとも、今現在苦しい自分を救うツールとしても、日記を書くって、ほんといい!
オススメです!( `ー´)ノ
そんな時間ありません、ひまぷうなお気楽大学生と一緒にしないでください!って声も聞こえそうですが。
たしかに、大学生のお気楽ひまぷう時代とは時間の余裕度合いは違って当然。
でも、くよくよ、ぐるぐる、思考巡らせて、思い悩んでいる時間はあるはずでしょ?
その思い煩う時間の中から、わたしに15分くれ!せめて、5分くれ!
その時間を、日記にあててくれ!
だまされたと思って、やってみてくれ!(/・ω・)/
離婚弁護士ではあっても、根本的には、悩んでいる女性が、自力で、自分自身を救えるならば、それが1番って思うから。
自力では限界があるってなったら、上手に他力を使えばいい。
でも、他力本願の過剰も、弁護士とはいっても、そんなに背負いきれないから。
自分の足で立てるならば、それに越したことはない。
離婚弁護士以前に、純粋に、ぐずぐずしまくって生きてきた1女性としては、日記、超いい!!!
しかも、20年経って、また大事な人との縁を紡いでくれるっていう効用まであるなんて。
20歳のわたしは想像だにしませんでした。
こんな素敵なオマケもあったりするわけです。
もう書いてみたくなってきましたね?笑
書き残すこと。
そして。
書き残したものを、残すこと。
少なくとも、やすえり弁護士にとっては、自分の「本質」に近いくらい、大切なこと。
結構な頻度でそう実感しているけど、今回も懲りずに、やっぱり、やっぱり、何度言っても言い足りないくらい、大事っ!!!
大事なことを、ちゃんと大切にできること。
これも、すごくいいですよね。
ええ、日本語がしつこいね。でも、いいの笑。
ちなみに。
20歳の日記によると。
20歳の大失恋でガッツリ傷ついたあと、よーやく、目を覚まして。
恋愛どころじゃねーわい、となったらしい。
本腰入れて、弁護士になるのに向けて、司法試験の勉強をちゃんと始めていた様子。
たしかに、弁護士になるのを諦めるならば、民間企業への就活とか検討していかないといけないけど、そっちの準備も、からっきしだから、アワアワなりますよね。
20歳前半の日記は、恋愛モードだらけで、ろくに真剣に勉強していないのに、「弁護士なんて向いていないんじゃないかな。勉強する気になれない・・・」っていうグズ発言も書かれていました。
そのあと、「いや、本気で勉強する前から、弁護士に向いている、向いてないって判断するのは時期尚早じゃない?本気だしてから言え。」っていう記述も現れてくる。
おーいいこと言うじゃん、当時のわたし!!!(^^)/
大学1年から本気モードで司法試験の勉強に集中していた周りの人たちと、自称弁護士志望ってだけで、勉強が遅れに遅れまくっている自分を比べた、劣等感も、グズグズ書かれているけど・・・(それこそ、妬み、嫉みのオンパレードの日記だから、20歳の日記。笑)。
大好きな先輩からの励ましなどにも支えられて、ようやく、一端の司法試験受験生モードに移り変わっていく20歳後半。
そんな自分の心境の変遷も確認できました。
よくぞ、更正した・・・笑。
そう考えると、20歳の心折れる出来事がなければ、未来の新しい希望に向けて大きく方向転換することもなかった。
そして、いま、実際に弁護士として仕事をして、たくさんの女性の離婚のお悩みに向き合う自分もいなかった。
人生、無駄なことなど、1つもなし。
ってことも、理解を深められた日記。
超オススメです(何度もいう!笑)